大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和44年(う)1287号 判決

控訴人・被告人 郡司幸雄

弁護人 小林優

検察官 石井春水

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人小林優が差し出した控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、これを引用し、これに対して当裁判所は、次のように判断をする。

一、控訴趣意第一点法令の適用の誤について、

所論は、原判決が本件国鉄拝島駅ホームは、「公共の場所ないし少なくともこれに準ずる場所に当る、」として昭和二五年東京都条例第四四号集団行進及び集団示威運動に関する条例第一条の規制の対象となる、と判断したことは、法令の解釈適用を誤つたものであり、その誤は判決に影響を及ぼすことが明らかである、と主張する。

右条例第一条は、集団示威運動について「場所のいかんを問わず」その規制を受けるかのような文言を用いているが、その趣旨とするところは「公共の場所」に限定して解釈すべきことは、所論指摘のとおりである。そこで、本件国鉄拝島駅ホームが果して右「公共の場所」に該当するかどうかについて判断する。

本来集団示威運動は、共同の意思、目的を有する多数の者が、一定集団の威力、気勢を示して、集団外の不特定多数の公衆に対し、集団の意思、目的を訴えるための示威行動を内容とするものであるから、公権によるその規制は、一面憲法の保障する国民の集会、表現の自由を侵害しないように、また、他面、公共の安全と秩序の維持のため適切に行われなければならない。集団示威運動の規制を受くべき場所を「公共の場所」としたのも、それが、前記集団示威運動が有効にその意図する目的を達しうるところであると同時に、反面、集団示威運動によつて、公共の安全と秩序の維持が危険にさらされる虞れが極めて大きいからである。したがつて本件条例により集団示威運動が規制を受くべき「公共の場所」をさらに具体的に定義づければ、それは、一般公共のための利用施設ないし場所として、一般公共が直接これを利用するため、有償または無償にて出入りすることの可能な公開の場所であつて、集団示威運動のためには格好な場所であるが、同時に公共の安全と秩序の維持が直接そこなわれる虞れの大きい場所といえる。本件国鉄拝島駅ホームは、乗客という一般公共のための利用施設ないし場所であつて、右公共の場所に該当することは明らかである。原判決が、本件駅ホームは乗車券あるいは入場券を購入しさえすれば自由に誰でもが出入しうる場所であり、いわば不特定多数の公衆が自由に出入し、また利用し、集団示威運動によりその生命、身体、自由、財産に直接の危険を及ぼす虞れのある場所であるから「公共の場所」または少なくとも「これに準ずる場所」に当る、と解釈したのも必ずしも失当ではない。

所論は、原判決の右論理を展開してゆくならば、入場券さえ購入すれば誰れも入れる劇場内や不特定多数の者が自由に出入しうるビルの屋上、ビル内の広場、大学構内広場もすべて条例の適用を受け、警察権力の跳梁を許す結果となり不当であると主張する。

右のような場所がすべて前述の一般公共のための利用施設として公開された場所であり、それが果して集団示威運動の場として通常利用されうる場所であるかどうか一概に肯定し得ないが、もしそれが集団示威運動の格好の場として利用され、しかも、そこにおける一般公衆のための安全と秩序がそこなわれる虞れのあるときは、これを公共の場所または少くともこれに準ずる場所とし規制が行われるのも已むを得ない。

所論は、昭和四二年五月二九日の広島高等裁判所の判決が、広島県庁正面玄関前構内が昭和三六年広島県条例第一三号第四条に定める「道路、公園、広場その他屋外の公共の場所」に該らないと判断したことを支持し、本件も右判例と同趣旨の解釈をすべき旨主張する。

しかしながら、右判決は、県庁正面玄関前構内は、県庁自体の用、すなわち県庁職員及び県庁を利用する特定の者の利用に供することを目的として設けられたものであつて、仮に右構内に県庁利用者以外の一般公衆が出入し、管理者がこれを黙認している事実があつても、右施設場所は、本来公用の施設場所であつて、右条例にいわゆる「公共の場所」に該当しないとしているものである。このような関係は独り官公庁に限らず一般民間商社等にも共通して言えるのである。官公庁、商社の舎屋施設は、官公庁、商社自体の用、すなわちそこに属する職員、そこに用務のある一般公衆の利用に供する目的をもつて設けられたものであつて、当該官公庁、商社に用のない一般大衆のため利用に供されるものでない。すなわち直接一般公衆のための利用施設としての公開の場所ではない。(記念行事等のために臨時場内を公開する場合があるにすぎない。)したがつて、このような施設構内に偶々一般公衆が出入し殊に構内通路を便宜通行し、それを管理者において黙認している状況があつてもこれをもつて「公共の場所」と解することはできない。広島高等裁判所が広島県庁正面玄関前構内、その間における通路を、前記条例の定める「公共の場所」に該らないと判断したことは正当である。本件国鉄駅ホームの如き一般公共のため利用施設として公開されている場所と、右判例に示された場所とを同一視して原判決を非難する論旨は失当である。

次に、「公共の場所」と、その管理権との関係について判断する。

所論は、駅庁舎及び駅ホーム上は、すべて国有鉄道の管理下にあり、もしその場所に不法な侵入者があれば庁舎管理権に基いてこれを排除すれば足り、その排除に当つて警察官の力を必要とする場合始めてこれを借りれば足るのであつて、右管理権をだしぬいて本件の如き条例を適用することは不当である、と主張する。

ひとり国有鉄道に限らず、すべて管理者のある施設はその管理者が当該施設を維持管理し、施設本来の目的に従つてこれを保全する権限と職務を有することは言うまでもない。ただこれらの諸施設の中で、特に公共のための利用施設すなわち公衆が直接利用すべき公開施設における集団示威運動の適正を期するために、これらの場所を特に条例規制の対象としたものであつて、その施設に対する前記管理者の管理権を否定するものではない。道路は建設大臣ないし地方自治体の長、公園広場等はそれぞれ国有財産法所定の事務分掌者等の管理に属し、国鉄駅のホーム等の公開諸施設は当該駅の長等の管理に属し、管理者はこれら公共用施設本来の目的に従つてこれを維持管理保全すべき管理権を有するのであるが、同時にこれらの諸施設は公共の場所として集団示威運動の規制の対象となるのである。

したがつて、右公共用施設以外の施設、前記広島県庁舎前構内等の公用施設ないし民間諸施設は直接集団示威運動規制の対象とならないから、当該施設の管理権者がその管理権に基いて処理すべきものであり、これら条例の適用のない構内については公安委員会は、そこにおいての集団示威運動について拒否の決定をすること自体できない。ただ、この構内に不当に侵入して集団示威運動の行われた疑いのあるときは、住居侵入罪として、検挙の対象となりうることはいうまでもない。前記広島高等裁判所判決が県庁舎前構内は広島県知事が広島県庁内取締規則によるその庁舎管理権に基き規制措置を講ずれば足り右構内が前記広島県条例の対象とならないと判断したことは正当である。所論は右判決の趣旨を理解せず公共用施設ないし公共用の場所である本件拝島駅ホームについても、駅長の庁舎管理権の故もつて本件条例の適用を否定するもので、当を得ない。

以上、原判決に法令の解釈、適用に誤りがあるとする諸論旨はすべてその理由がない。

二、控訴趣意第二点事実誤認の主張について、

原判決挙示の証拠によれば、被告人を含む学生約二百名は、国鉄拝島駅前広場において、米軍タンク車輪送に対する抗議集会をするため同駅ホームに到着したが、同駅前広場における機動隊の警戒が厳しいため、予定を変更し次の列車で立川駅に引き返えそうとしたが、その間同駅ホーム上において原判示無許可の集団示威運動を行い、被告人がこれを指導した事実が明瞭である。

所論は、被告人は、右立川駅に引き返えす迄の十五分間、ホーム上の乗降客の混乱を避けるため学生集団をホーム上乗降客の支障にならない氷川駅寄りに誘導したにすぎず、これは被告人として採り得る唯一の方法であり、緊急避難行為に準ずべきものであつて、少くとも可罰的違法性を欠く、と主張する。

なるほど被告人が学生集団を三列の隊型に整え、到着したホームの位置より氷川駅寄りにこれを誘導した事実は前掲証拠上これを否定し得ない。しかしながらその集団移動の往きも帰えりも原判示の如き示威行進をし、その移動の前後にもシユプレヒコール等を繰り返えして集団示威運動を行つているのであつて、集団を移動せしめたこと自体は、乗降客の混乱を避けるためのものといいうるのであるが、拝島駅長より直ちに解散するよう警告されているのを無視して、前記集団示威運動を行うことは、ホームにおける混乱を避けるために已むを得ないことでもなく、被告人として採るべき唯一の方法でもない。駅長の警告に従つて直ちに解散して正常な状態において次の列車を待つべきであることは多言を要しない。被告人の行為が緊急避難に準ずるものと主張し、また、可罰的違法性を欠くとして、その主張を排斥した原判決を非難し事実誤認ありとする論旨は採用することができない。被告人を含む学生集団が拝島駅ホーム上に滞留した時間が僅か十五分にすぎず、その間被告人が駅長と和気靄々のうちに上り列車の時刻を尋ね立川駅に引き返えすことになつたというような事実関係は、右判断を左右しうるものでもなく、原判決の事実誤認を主張する論拠ともなしえない。

以上原判決の事実誤認を主張する論旨もこれを採用することはできない。

よつて刑事訴訟法第三九六条により本件控訴を棄却すべきものとして主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 関谷六郎 裁判官 寺内冬樹 裁判官 中島卓児)

弁護人小林優の控訴趣意

第一点、原判決には法令の適用に誤があつてその誤が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。

原判決は理由、(弁護人の主張に対する判断)のなかで、二丁目裏六行目より

「しかしながら、都条例一条は集団示威運動について「場所のいかんを問わず」許可申請を義務づけてはいるが、本条例の立法趣旨が公共の安寧を保持することにある点から考えると、これは右の集団示威運動が集団外の不特定多数の者に対して物理的な力により、その生命、身体、財産に直接の危険を及ぼし得る場所すなわち公共の場所またはこれに準ずるような場所に限定されるべきものと解するのが相当である。」

と判示して、「場所のいかんを問わず」という場合の「場所」とは、「公共の場所またはこれに準ずるような場所」に限定されるべきものとしている。しかるに本件駅舎ホーム上は、結論として(三丁目表一〇行目)、

「当該の場所は公共の場所ないし少なくともこれに準ずる場所というべきものである。」

と判示した。

つまり、本件駅舎ホームは、

「一面駅長の管理する駅舎内にあるが、その管理権の作用は鉄道営業の範囲に限定されるものであるうえ、右ホーム上は乗車券あるいは入場券を購入しさえすれば自由に誰でもが出入しうる場所であり、いわば不特定多数の公衆が自由に出入し利用しうる場所というべきであるから、」

という理由によるのである。

もし、原判決の論理を展開してゆくならば、劇場内でもビルの広場、屋上等においても公安条例の適用があることになつて、不当である。このことは、原判決が公共の場所と、特定の庁舎管理権の問題を混同しているところに、不当な論理構成の原因が存する。

すなわち、駅庁舎及び駅ホーム上は、すべて日本国有鉄道の管理下にあり、もしその場所に不法な侵入者があれば、庁舎管理権にもとずき、その管理権者が退去要求をすれば足りることである。もし右の退去命令の執行について事実上不能である場合に、警察官の力を借りることは、これは論理的には全く別個の問題といわねばならない。

広島高等裁判所昭和四二年五月二九日判決(判例時報四八三号一二頁、判例タイムズ二〇六号二一四頁)は、広島県庁正面玄関前構内が、公安条例の適用される場所であるか否かについて、

「県庁舎内は勿論右県庁構内における被告人らの本件行為については、これを規制せんと欲すれば、同知事はその庁舎及び県庁構内の管理権に基ずき同構内からの退去を求める等して規制すれば足り、これに応じないときは刑法第一三〇条所定の不退去罪等の成立するのは格別、本件条例第四条を適用して処断することはできるわけのものではない。」

と判示している。極めて妥当な判断というべきである。

蓋し、右広島高裁の判決の考え方でなくて、原判決の如き判断過程を経るとすれば、大学構内広場も、ビルの屋上も、ビル内の広場も、すべて公安条例の適用があることになり右の各庁舎管理権者等の意に反して、徒らに警察権力の跳梁をみることになり、その混乱は眼に余るものがある。これはつまり、原判決が前記の公共の場所である理由の次に

「いわば不特定多数の公衆が自由に利用しまたは出入しうる場所というべきであるから、これら不特定多数の公衆の生命、自由、財産などに有害な影響を与える虞がある場合には警察権が発動しうる余地があり、」

という結論に到達することにより、直ちにその故に公安条例の適用があるとの結論を即断したことに誤りがある。弁護人も、終極的に警察権の及ばない治外法権的な場所であることを主張するものではないが、少くとも、第一次的には、管理権者の正当、適法な意思表示がなされ、しかるのちに、初めて警察権の行使があり得ることが可能であることを主張しているのである。大学構内における集団示威運動に、その許可申請が公安委員会に対してなされていないことを理由に、直ちに公安条例を適用することが、いかに不当であるかをここに論ずる要をみない。入場券を入手すればいつでも自由に出入できる劇場や、入場券の不用なビル内広場においてまた然りである。

以上の次第であるから、駅舎ホーム上での集団示威連動が、管理権者の意思と無関係に直ちに公安条例の適用ありとする原判決には、東京都公安条例第一、第五条に関する適用の誤があり、右は判決の結果に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れないものである。

更に以上の事実は、被告人本人の供述においても、

「ちようどぼくたちが三列にするときに、拝島の駅長だと思いますが、スピーカーを持つて、駅員数名と一緒に、ただちに解散するようにということが言われたわけです。で、ぼくたちの判断としては、…………以下略。」ということであり、管理権者である拝島駅長が、その権限内において適法な指示をしていたことが認められるのであつて、右拝島駅長が、その管理権の行使として、特に、本件学生の処置につき、警察権の行使を容認した事実は認められない。

しかも、被告人の供述によれば、

「隊列を移動したのちに、ぼくと駅長と話して、次の列車の来る時間を聞いたわけです。で、次の列車が三時一分に来るということで、それに乗つていくというふうに決めたわけです。」

となつているのであつて、敢えて、本件について公安条例を適用すべき状況にすらなかつたことも明らかである。

第二点、原判決は事実の誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである場合に相当するので破棄を免れない。

原判決は、弁護人の主張を排斥して、

「国鉄拝島駅青梅線ホーム上における本件学生らの行動が弁護人主張のように他の乗降客や学生集団の生命、身体の危険を避ける目的ではなく、集団示威運動としてなされたものであることは判示のとおりである」

から被告人の行為が緊急避難行為に準ずるものではないと判示した。

また、

「短時間であつたとはいえ、電車が発着する乗降客の多いホーム上で判示のような行為を行い、その結果乗降客に不安感を与えたものであるうえ、その当時の情況からして、被告人らは右の結果を生じることを知りながらあえて本件行為に及んだものと認められる」

ので、結局緊急避難行為に準ずるものとも、また可罰的違法性を欠くものとは到底言えない旨を判示する。

しかしながら、被告人本人の供述によれば、

「ぼくが電車から降りて人垣をぬうようにして、陸橋の下を通り抜けたわけです。で、二番線ホームから三番線のほうに、ぼくが移動したわけです。それから駅中央にある売店のほうに向かつて歩いたわけです。ちようど、そのころ電車が出発したわけです。そうすると、ちようど改札口が見えるわけです。で、ぼくが改札口を見たときに、すでに機動隊がジユラルミンの楯を用意しているということが、ぼくに確認できたわけです。」

その後、ML派・国際主義派の諸君と相談した結果、

「具体的にぼくたちの人数は少ないし、集会を駅前で開くことが不可能であるという判断の上で、次の三番線に来る立川行きの上り電車を待つて、立川へ引き上げるということが決定したわけです。」

そのため、被告人は

「まだその時点においては、学生がだんごのようにというんですが、押し合つて集つているという状態で駅が若干混乱状態を呈すると、その中で三列にして乗客のめいわくにならないように、列車が止まらない、あるいはその列車の乗降客の通路にならない所へ移動するということで、三列にしたわけです。」

その後、被告人としては、

「で、ぼくたちの判断としては、解散する場所がないし、解散もできないという判断の上で、隊列を移動せざるをえないということで、隊列を移動したのちに、ぼくと駅長と話して、次の列車の来る時間を聞いたわけです。で、次の列車が三時一分に来るということで、それに乗つていくというふうに決めたわけです。」

つまり、被告人は、圧倒的な機動隊の攻勢をみて、駅前集会を断念して、直ちに次の上り列車で引き帰すということを前提にし、拝島駅の乗降客混雑を避けるために学生集団をホーム上永川駅寄りに誘導したにすぎない。そのなによりの証拠には、上り列車が拝島駅に到着するや否や、学生集団は一斉に上り列車に乗車して立川駅方向に向つたのである。

この学生集団が拝島駅ホーム上に滞在していたのは午後二時四六分から午後三時一分までであつて、一五分間にすぎない。この間被告人は駅長と和気藹々のうちに、上り列車の時刻を尋ねて、引き揚げることとなつたのである。

被告人は、現実に本件において採つた行動以外に、採り得る行動は他にあり得ない。特に他の乗降客の迷惑を避ける意味で、氷川駅寄りに学生集団を誘導することは、この際において採り得る唯一の方法であり、緊急避難行為に準ずべき行為といわねばならないし、少くとも可罰的違法性を欠くものである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例